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FacebookやTwitterなどが一般的になった今、プライベート(プライバシー)か
オープンかという議論は非常に大切であり、どこまで公開するかは真っ先に検
討されるべき問題だと思う。本書はオープンであることが成功をおさめる条件
として示される箇所が多いが、私はそうは思わなかった。私はブログの黎明期、
果てはホームページをHTMLでタグ打ちし、緑の大文字を黒背景の上でチカチカ
させていたクチで、きっと一般的なネットユーザーよりネットには詳しいし、そ
の力を信じていると思う。ただ、オープンにし、共有すれば何事も解決するとい
う考え方には賛同しかねる。

例えば、人は己をさらけ出すことで仲間を得るわけで、それが集団を、国家を生
み、今の人類を形作ったといえる。一方で、それが集団同士の軋轢や集団内での
序列付けを生み、結果として苦しんでいる人もいる。

オープンでシェアでフリーな世の中がどうのというが、果たして本当にそうなる
だろうか。言葉は悪いが、薄っぺらな人間ほど共有を好む。隠し立てするだけの
事柄、知識がなく、時間ばかり余っている人間は、とても明け透けだ。実社会で
オープンな人はそれでいいが、ネットに関してはそうはいかない。必ずや監視社
会になる。つまり、これだけオープンにしているんだから、お前もオープンにし
ろ。という具合。

更に、ネットの二面性も忘れてはいけない。明け透けオープンな人と、他人を監
視し、揚げ足をとり、企業や個人をいたぶってやろうという人間が別人とは限ら
ない。顔が見えないからこそやりたい放題な部分はあるし、本名でアカウントを
とっても、サブアカウントで悪さをする人間はゴマンといる。FacebookやTwitter
が元で起こる事件はいくつもあるわけで、明け透けならばすべてうまくいくとい
うのは、そうであって欲しいし、そうでなければ儲からない連中の妄言でしかな
いのではないか。

常に公共の福祉に役立つものが歴史上勝利を収めてきたというが、果たしてそう
か。本当に役立つ知識や技術は、未だ秘匿される傾向にあるし、仮に公開された
としても、その真贋を鑑定する力がネットにはない。それどころか、ますます胡
散臭い連中の跋扈(ばっこ)を許している。

オフラインで信頼できる人、物、企業といった資本を粉微塵にして、利便性の名
のもとに再構築するというのが彼らネット万能主義者の持論だろうが、新聞をラ
ジオが、ラジオをテレビが駆逐してきたように、メディアによる破壊は、必ずや
新しい産業の思惑が働いて、真に個人に資するものにはならない。そもそも、す
べての個人に資するものなどあろうはずもない。

新聞屋が抱えているパイを横取りしたい連中の、スクラップ&ビルドの闇は深い。 
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