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微分積分ができようが、ややこしい英文が訳せようが、等高線が読めようが、
直接的に人生に役に立つことは少ない。漢詩が書けても、古文が読めても同じ。
だから、多くの人間が「こんなことをして何の意味があるんだ」という。いや、
開き直るんだな。できなくても困らないらしいじゃないかと。だから、いらな
いじゃないかと。


確かに、君たちの周囲にいる大人は、そんなことができてもクソの役にも立た
ないと悪態をつくだろう。それは当然のことだ。彼らは何も間違ったことを言っ
ているわけではない。彼らの仕事には、数学の難問や化学の組成式、ブラジルの
コーヒープランテーションの知識が必要ないのだから。


いいかい、彼らは君たちと同じように考えた結果、学ばなくてもできる仕事、
学校の知識が必要ない仕事をしているんだ。君たちもそれでいいならそうすれ
ばいい。学校の勉強はほとんど役に立たない。ただ、学校の勉強をしなければ、
そんな知識を活かす仕事には「絶対に」就けないんだ。


最後にふたりの恩師がよく似た言葉を与えてくれたから、君たちにも伝えてお
こうと思う。学校の勉強なんて意味がないという子をいさめる際の言葉だ。

「学校の勉強なんて、社会に出ても役に立たないだろ」という生徒に、
「学校の勉強もできない人間が、社会の役に立つのか」という恩師。

どこの学校でも出てくる問答なのかな、とも思う。君たちはまだ若い。何もか
もが初体験だろう。そんな君たちが、どうして誤りなく人生が判断できると思
うのか。大人に課された勉強をしないということは、自身の人生に責任をとる
ということ。つまり、自分は大人だと宣言することなんだな。大人になれば、
なーんにもないぞ。誰も守ってくれない。君たちを食い潰そうと大人たちが襲
いかかってくるだろう。「3年生の先輩が、2年生をいじめるのは卑怯」なんて
いってられない。18だろうが、60だろうが同じ土俵で戦うんだ。こりゃおっか
ないぞ。それでも大人を宣言するかね。


人生の判断は、ギリギリまで伸ばすのがよろしい。何事も締め切りギリギリま
で時間をかける方がよろしい。自身の人生に責任を負うには、君たちはまだま
だ若い。少なくとも20年余分に生きてから考えてみてはどうかな。



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