この本のおもしろいところは、読売ジャイアンツという球団について、巨人の人間ではない野村克也氏が黄金時代の到来を予見するというところにある。機関誌やOBによる巨人礼賛本、スポーツ紙の提灯記事や批判記事といった宗教的色彩から離れたところから書かれている組織研究は、なかなかお目にかからない。

 氏は日本人が大嫌いなぶつくさ面倒なことをいう理論の人である。才能を元に努力、努力でのし上がった、近代野球の父である。もっとも人間性に問題有りとする向きもあるが、当時の野球はヤクザな商売で、長嶋氏の登場前までは大学野球に人気で劣るプロ野球という構図だった。優れた選手の親でさえ、プロ野球選手になると子どもがいったら反対する時代であったことを差し引いて考えて欲しい。東京駅に降り立った広島カープの選手団など、広島から抗争にきたのかと思うような出で立ちで、あの聖人のような鉄人衣笠氏すら声をかけられるような格好ではなかった。


 さて、 この野村氏が一番近くで巨人を見、巨人を恨み、巨人の選手以上に巨人を愛していることはあまり知られていない。南海時代に巨人にさんざ苦杯を舐めさせられた、王、長嶋というスターの陰で大記録を成し遂げても見向きもされない日陰者の人生。通常ならば、親の仇とばかりに恨み骨髄といったところだろうが、氏は最大の好敵手であり、生涯をかけて乗り越えたい目標として巨人を置くほどに今でいうところの「ジャイアンツ愛」にあふれている。氏の述べる黄金時代とは巨人のV9時代であり、その当時巨人がどのようにしてこの不滅の大記録を達成したのかという分析から本書ははじまる。


 大学野球に劣るプロ野球の当時、日本は酷い野球後進国だった。そんな中で巨人は率先してメジャーの野球を学び、取り入れていった。その結果、日本の野球とは根本的に違う反則級の強さを手にした。それに遅れること9年。1970年にプレイングマネージャーとなった野村氏が南海に「考える野球」を導入した。この強くなることに貪欲な巨人に氏は敬服し、愛した。近年はこの「強くなる」を勘違いしたばかりに安易な4番打者オールスターや金にものをいわせた補強でチームがズタズタになり、V9時代に形作られた「考える野球」や「チームの和」といった部分が失われ、長きにわたり不振をかこった。それが、野村野球が得意としたデータ分析や理論に基づく野球を徹底し、進化させ、選手の育成や補強の面にも活かしはじめ、4番のオールスターチームからの転換を実現した。結果、スモールベースボールにはじまり、空中戦(ホームラン合戦)までこなせるようなバランスのいいチームとなった。野村氏はここを見て、王、長嶋という二枚看板でありながら互いに反目することなく、チームとして機能していたバランスのいいV9時代の巨人を想起したのではないか。


 強打の選手が9人並べば(投手を除けば8名だが)、その合計で日本一になれるというのは甘い。野球は、そして組織は足し算では見積もることができない。蟻の一穴という言葉があるが、一度どこかに穴が生じれば、そこからみるみるうちに浸水、ついには堤防すら決壊させてしまう。打つだけの選手が集まれば、打つ部分に穴はないかもしれないが、守る部分に穴が開いたら誰が修復するのだろうか。誰も直せないとなれば、それは組織の破滅を意味する。バランスや和といった一見曖昧にみえるものを重視するのは、選手時代からチームを率いてきた氏ならではの経験からくるものなのだろう。


 巨人の選手やかつての野球チームの話題も多く、野球に疎い方には辛いものがあるが、組織論として読むこともできなくはない。むしろ、選手や試合の個々に注目するよりも、その背景にある組織の動きを把握し、理解することこそが、本書最大の見どころかもしれない。あの偏屈爺がこれほどまでに愛するものとは何なのか。一度確かめてみてはいかがか。


 
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