様々な意見を賜りました。Twitterでもずいぶんと拡散していただいたようで、かつての同僚から「お前まだそんな地雷を踏むような生き方してんのか」というお叱りまで頂戴する始末。今回は、前回お伝えしきれなかった部分の捕捉といいますか、「書店は中間搾取業」以後に思いついたことを好き勝手に述べさせていただきます。


「レジ休止中 客注・図書カードはあちら」という張り紙がなされたレジカウンターがある。出口も出口、隅も隅。7台のレジスターがフル稼働する活況の本流と違って、そこにはスリップをまとめ、モニタをにらみ、不満そうな顔をして図書カードを封筒に入れている店員がいる。それが書店だ。本屋の味でもある。くたびれたエプロンに腕まくり、五〇絡みの店長らしき男性の疲労がにじむ精悍な顔つき。「客商売だぞ」といいたくもなるが、仕方がないことは理解しているし、そうでなくては書店ではないとも思う。「客注」などと書いてしまっているあたりに配慮のなさも出ていて実にいい。そして、救えないなとも思う。


 前回の更新以降、「版元は書店に責任転嫁をしている。我々はこんなに頑張っているのに…」案の定、予想通りの言葉が並んだ。経験者だからわかっていた。そして、版元の人間でもあるからそれ以上にいいたいこともあった。拡材を持っていこうが、POPをつくろうが、書店は置いてくれないと営業は泣いていた。納品直後に返本しくさったのに、2日後に客注で直接入れにこいという店もあった。アポをとってフェアの提案に行くと、今は忙しいから後日といわれたと肩を落とした新人営業もいた。でも、私は軽々しく慰めたり、尻馬に乗って書店の馬鹿野郎ともいえなかった。書店の事情を汲めば、POPなど邪魔だし、ポスターだって貼れる柱壁は限られている。バックヤードは狭いし、棚は常に戦場だ。それでも書店側の対応に納得はしなかった。


 それは、人のつくったものを売るということに耐えられず、編集者になったからこその感情なのかもしれない。私は今、編集よりも広告、フェアといったコンサル的な仕事を軸としているが、これは書店と版元を経験した結果、人のものを売るだけでも、ものを創るだけでもつまらないと思ったからにほかならない。ふたつの職種の経験から、自分のつくったものが人を動かす、人の顔の見える創作が一番だと思ったわけだ。これは個人の職業観であって、ここには何の関係もなかったか。何がいいたいかといえば、書店も版元も同じように穴があり、お互い人のせいにしてはいまいかということが述べたかった。そして、書店は人のせいにしちゃオシマイなんだ、とも。なぜかって? 冒頭にも触れた客注を例に考えていくことにしたい。


 客注は書店にとっても一手間である。それだけでなく版元に直接電話などかけてこられた日には版元としてもえらい迷惑。しかし、お互いにそんな顔はしてはいけない。それが客商売だからだ。わかっちゃいるが、わかっちゃいるんだが…というのが本音ではないか。「脚注は本文を補うが客注は売上を補う」などといっていた上司がいた。店員は「客注売上を補う」と家訓のようにいっていた。それなりの規模の書店だからであるが、地方の小規模書店ともなれば「棚になければないですね」といわざるをえない。手間の問題もあるものの、最悪東京の版元への「電話代のが高い」からだ。客注は儲からない。レジの流れを止めくさるから、専用カウンターへ投げてしまえ。それが今の書店の姿。しかし、客注は儲からないが損でもないとも思う。やはり、売上を補うのだ。なぜか? 客注をする客は相当の本好きだ。このネットの時代、ワンクリックで明日には届く時代にあって、書店でしち面倒臭い手続きをしてでも本を買うのだから、書店員が頼りなのだ。アメリカからの船便かと思うほどの日数をエンヤコラとかけ、2週間も気長に待てる客だ。これがリピーターになる確率が高いことは、客注をとったことがある人間なら知っているだろう。また、専用カウンターを設けなければ、申し訳なさそうに文庫や雑誌あたりを手にして「本を探しているんですが」などとレジで話し出す客も少なくない。それほど欲しくなくとも、手間をかけさせるのだからと気を使っているわけ。そんな小心者は、客注が届いたと連絡を受けた日も、手間をかけたからと本を余計に一冊買っていったりする。これが専用カウンターになれば、本を手にしてレジにくることもないし、店員に話しかけるキッカケがないものだから客注もしてくれない。書店業務のひとつをとっても、努力していないところはしていないのだ。取次の配本をそっくりそのまま並べるだけ。客の心理など考えもしない。それでいて、版元が悪い、ネットが悪いといってはいまいか。私が書店が中間搾取業だといったのは、客へのサービス(付加価値)でお代を頂戴する仕事だという意味ともうひとつ、こういったダメ書店が労せず中抜きしている文字通りの搾取があるという意味からなのである。


 前回、テレビゲームの話をだしたが、今、テレビゲームは過渡期にある。中小小売に優しかった任天堂すら、ダウンロード販売を開始した。もはや、家にいながらにしてゲームソフトが購入できる時代となったのだ。これは中抜きがなく、価格維持が可能であるほか、中古対策の効果もある。ゲームメーカーとしてオイシイというだけでなく、購入者も手軽でかさばることなく、快適というメリットがある。今後、出版物にこれと同じ現象が起こらないと誰がいえるだろうか。ネット通販なら…どころか、電子書籍なら…となったらどうか。出版社が直販? 大手書店や取次が販売? ネット通販大手が? Apple、Googleといった企業が…? 書店にとって、敵はあまりにも多く、強大だ。それどころか、版元は顔には出さないが「別にお前等に売ってもらわなくても構わない」といつ言い出すやもしれない。もちろん絵空事ではないし、私個人の妄想でもない。私自身が版元で編集者であると同時に電子書籍のデザインや、デバイス、売り方についての協議等、諸々を担当していたからだ。取次や印刷会社と一緒になって、いつ電子書籍の波が押し寄せてきてもいいように準備をしていた。裏を返せば、いつ書店を切り捨ててもいいように準備を進めてきたといえる。


 紙の本をこよなく愛し、デザイナーと膝と膝どころか鼻っ柱を付き合わせて装丁でケンカしたりしてきた私にとって、いくら成長分野のプロジェクトリーダーといわれても、この書店への背信的行為は到底納得できるものではなかった。休日に書店に行き、担当の店員にいい顔をして、平日は本を創りながらいつでも書店を捨てる準備をする二重生活。この矛盾は会社を移ろうともなぜか(電子書籍リーダーを複数持っているいわゆるガジェ獣だからか?)変わることなく編集兼電子書籍担当にされ、独立およびお抱え広告屋になるまでこの十字架がいつも背中にのしかかってきている思いだった。


 書店はそう遠くないうちに切られる。マンガなどは版元、編集すら通さずに作家から直接読者に届ける取組がはじまっているし、書店どころか版元や編集すら「切られる」対象でしかない。その焦りが、過激で辛辣な記事になった。無理にでも書店員を動かして書店の巻き返し、書店復権の道筋をつけてもらえればという思いで、タイトルはいわゆる釣り、飛ばし記事のようなものしてしまった。紛らわしいことで、反省しきりではあるが、やはり、書店への思いは変わらない。中間搾取業のやるべきことは何か、考え、実行に移してほしい。実行に移す店に、私はこれからも通いたいと思う。


【蛇足】
私が実店舗型書店に落とす金額は月々1~3万円。たいした額ではない。それでも店長は私のために本を選んでくれる。某取次から送られてくる新刊情報を眺め、ふせんを貼っておいてくれる。忙しいときでも話しかけてくるものだから、(他のバイト君たちの目もあって)最近は邪魔にならないよう閉店2時間前の深夜に行くことにしている。

 書店員にすべての客にそんな特別なサービスをことをしろとはいわないし、特別扱いは他の客を不快にするかもしれない。しかし、御用聞きをつきつめると、こういうことになるのかもしれない。少なくとも、こんな偏屈なブログ書きが見事にやられているわけで、効果はゼロではないだろう。


 H店長、アマゾンの怪魚釣行の本、売れませんか。オススメだけど売れないといったじゃないですか。イカ釣りの本の横に並べても、たぶん、きっと、ダメですよ。というよりも、どこに置いても、その…。せっかくですし、恐るべき巨大生物フェアでもやりますか。NHKのダイオウイカや、講談社ブルーバックの「イカはしゃべるし空を飛ぶ」あたりにイカ娘でも並べて…。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr Clip to Evernote