池田高校野球部はその昔、甲子園を席巻した超攻撃的野球のチームでした。それも今や昔、すでに古豪の扱いです。現在のチームがどのような指導方針なのかはわかりませんが、かつてのように周囲に何もない(田舎のため)暴力を背景にした野球地獄への監禁、金属バットで打つことだけを主眼に置いた選手育成(筋トレ)では選手が育たなくなったかもしれません。ウエイトトレーニングは今やどこの学校でも行われているもので、ただただ筋肉だるまをつくるだけでは勝てないのが現代野球です。そういった技術論にも蔦氏の人物像にも迫りきれない教え子三人(畠山準氏、水野雄仁氏、江上光治氏)にもどかしさを感じます。もっとも、これはインタビュワーの力量と編集の関係かもしれませんが。
 

 本書では、旧態依然とした野球への姿勢が見え隠れしています。体罰問題以前に出た本ですし、昭和の考え方が根底にあるので現代の野球に活かせることはほぼありません。一冊の本の中から臭い立つのは、チームの慢心。スポーツの転換期、過渡期には劇的な大逆転、大規模な地殻変動が起こります。その過渡期にあって、成功を収めたのが池田高校であり、それが未来永劫続くような普遍のものではありませんでした。ルールの穴や、発想の転換で一時的に大勝することはままあることです。しかし、それへの対策がなされれば、いずれ沈んでいく。池田高校はその対策への対策を怠ったのではないかと。 


 蔦監督の幻影が、池田高校の未来を潰しているようにしか思えない。もっとも、今や野球は絶対のものでもないし、都会で娯楽が多く、設備が整った高校の方がずっと子どもたちにとってはいい環境なのだから、立地という面でもかなりの不利。それに加えて蔦監督の教え子たちが、この本の中で俺はすごかったんだとふんぞり返っているわけで、なかなかに根が深い。


 同郷の先達であるのだから、応援したい気持ちも多々あるが、俺は甲子園ではすごかったんだぞといったところで、プロで三九勝しかしておらず、その勝利数の三分の一が中継ぎや抑えでの登板による、いわゆる勝ち星泥棒(先発の勝ちを消してチームに逆転してもらう、負けている状態から登板してチームに逆転してもらう等)。怪我に泣いた大投手ともいわれているが、本書の筆致を見るに脇の甘さが感じられるのが残念至極。読者の「お前の成績はどうでもいい、蔦の話をしろ」という声が聞こえてきそうです。

 
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