著者はスマホを二一世紀のアヘンと呼ぶ。スマホが中毒状態を引き起こし、人々がバカになるというのが氏の持論だ。確かに、最近ながらスマホをする人間が多く、本当に危ないとは思う。だが、それだけだ。ながら文庫のヤツもいれば、ながら新聞のヤツもいる。スマホは本当に人をバカにするのだろうか。
 

 スマホ、つまりスマートフォンを持っていると人はそれに頼りきりになり、学ばなくなるのか。確かに学ばなくなるだろう。しかし、それを救いようのないことだとは思わない。なぜなら、私は学ぶ必要がなくなるのだと思っているからだ。著者はなんでも電話番号を覚えておらず、自分のスマホと自宅の番号しかわからないことを問題視しているのであるが、では、お前は電話帳に掲載されている古今東西の電話番号を覚えるのかと問いたい。電話帳は何のためにあるのか。トイレが壊れたら水道業者を呼ぶためにあるのだ。つまり、普段は必要のない情報を記録(スマホの場合は記憶)しておくための道具である。本という発明、文明の利器のおかげで我々は水道業者の電話番号を常に覚えておかなくても済んでいる。これでひとつ学ぶ必要がなくなった。電話帳がなければ、水道業者を紹介してもらえる人を捜すところからはじまるハナシだ。いやあ、手間がなくなって本当に幸せだなァ。と思わないのか。著者は残念なことに「思えない」側の人間だ。


 自分が生まれたときに文字と本があったのだろう。だから、何の疑いもなく利用する。ましてや自分で書いている。文字も本も文明の利器であり、これがなければすべての人間はあらゆる知識を脳味噌に叩き込んでいなければならない。これはあまりにも非効率だ。そして、人間の知識、時間には限度がある。この非効率を実行し続けていれば、今日の人類の発展はなかったろう。何がいいたいかといえば、氏は自分が成長する過程で存在していたものは「正義」、年をとってから出てきた自分の使えないものは「悪」だといっているに過ぎないということだ。


 スマホは外部記憶媒体なのである。著者がいっていることは、調べ物をしたいからと百科事典を開くことも、図書館を訪れることも許さないといっていることと同じだ。もちろん、電話も使ってはいけない。本人のところまで訪れて、口頭で連絡事項を交換すべきだ。スマホによって「人間力」が失われるというのだから、手紙や電話ではなく、直接触れ合える距離であらゆる業務を行うべきではなかろうか。


 この本を文明論だなどと誉めそやす輩がいるが、とんでもないことだ。私からすれば、長きにわたる生命の進化の過程において、進化を拒絶した劣等種の末路にしか見えない。文明を捨てた瞬間に、その種はヒトですらなくなる。かつて「ケータイを持ったサル」などという過激な本が出ていたが、今や携帯電話を持たない人間こそがサルではないか。スマートフォンを持っていれば、ものの数分でかたがつくことを延々何時間も調べる人間と、スマホを使いこなす新人類。生産性がまるで違う。これは精神論でもなんでもなく、数字として出ていることだ。スマホやネットを使わないのは自由だが、そういう人間は仕事でも、私生活でも極めて無駄で冗長な人生を送ることになる。そんな人間を使わないのも自由なわけで、使えない人間の「人間力」とやらがどれほどのものか、実に見物(みもの)だ。


【蛇足】
 著者は携帯を一生使わないと宣言していたにも関わらず、公衆電話が減ったことを理由に携帯を持つことにしたそうだ。微塵のポリシーもない。しかも、公衆電話が減ったなどというみっともない言い訳をする大人だ。何事も人のせいなのだ。自分が悪いと思えない星の人間だ。そのうち携帯電話のサービスが終わり、スマートフォンだけになれば「スマホしかないから」と言い訳するつもりだろうか。こんな人間に「スマホはアヘン」などといわれても、「お前がマリファナでもやってんじゃないのか」という感情しか湧いてこないぞ。




【なんと電書版があります】

 講談社のミスなのか、それとも晒し行為なのか。Kindleで読める電書版があります。同じ外部記憶媒体でも本はOK、スマホはNGという著者渾身の作をスマホで読む。これはなかなか小粋じゃないですか。
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