キスカ島奇跡の撤退 艦これ島風ファンなら常識?!
 キスカ島奇跡の撤退は、かつて特撮歴史映画として知られたが、今は艦船擬人化ゲーム「艦隊これくしょん(略称艦これ)」で知られる。

 キスカ島は、カムチャッカ半島より更に東、冬になればカニ漁で沸くベーリング海に浮かぶ小島である。夏場でも気温は一桁を記録し、今は人の姿もない。アリューシャン列島から島伝いにアメリカへと繋がることから、アメリカ本土への侵攻と防衛面で一大拠点となると考え、隣島であるアッツ島とともに旧日本軍が奇襲上陸を敢行した。ところが、中規模の米軍守備部隊との交戦を想定していた日本軍は肩すかしを食らう。キスカ島にはアメリカの民間人家族と数十名の島民しかいなかったのだ。当時の新聞はこの無血開城ならぬ空き巣行為を、興奮を抑えることなく誇張し、記事にした。当時の朝日新聞を見るに、ミッドウェーの報道同様、無敵の進撃であるかのような報じ方をしている。

 本書から離れてしまうが念のために申し上げておくと、昭和一七年六月一一日付けの朝日新聞には、「ミッドウェー沖に大海戦 アリューシャン列島猛攻」と見出しにあり、本文の小見出しには「“北方侵略線”遂に崩る」とある。崩るもなにも、米軍はそこにはいなかったわけで、アラスカの小島を占領されたものだから、仕方なしに奪還にやってきたというのが正しい。

 さて、本作戦がなぜ奇跡と呼ばれるのか。その第一の理由はアッツ島にある。戦史に詳しい方なら耳にしたことがあるであろう「アッツ島玉砕」。キスカ島より日本寄りにあるアッツ島では、キスカ島撤退作戦が敢行される前に守備隊二六〇〇余名が玉と砕けた。玉砕という言葉がはじめて使われた、歴史的な事象でもある。

 日本への退路を断たれ、極寒の孤島に取り残されることとなったキスカ守備隊五〇〇〇余名の心境はいかばかりか。平時に生きる私には想像すらできないが、いつ訪れるかわからぬ死を受け入れて生きる死刑囚がごとく、人としての体をなしてはいなかったのではなかろうか。閉ざされたかのように思われた彼らの命運は、日本軍にしては珍しい撤退作戦によって動きはじめる。アッツ島は米軍占領下、アリューシャン列島の先にはアラスカの主力部隊が待ち構え、もはや進退窮まった状況下にあって、キスカ島からの撤退作戦に抜擢されたのは本書の主人公ともいうべき、カイゼル髭をたくわえた木村昌福だった。昌福は兵学校では成績下位も下位。ブービー賞のドン亀で、将来を嘱望されるような人間ではなかった。しかし、人の命に関しては誰よりも敏感であった。

 木村昌福少将の人柄をあらわすエピソードはいくつかあるが、ミッドウェーでの作戦において、司令官の艦隊突撃命令を受けるも、機関(エンジン)故障と大法螺を吹いて航行不能となった僚艦の人員救助に当たったり、インド洋での作戦中、敵輸送船の乗組員の下船と安全を確認してから目標艦船を攻撃するなど、およそ戦時の人間とは思えない人道的な人物である。人を殺すことでメシを食う職業軍人としては失格かもしれない。しかし、この軍人不適格者である木村であったからこそ、キスカ島の撤退作戦は成功したといえる。

 キスカ島撤退作戦は氏の命を思う信念と、剛胆あればこそのものであった。キスカ島撤退作戦の概略は「視界ゼロの濃霧にまぎれてキスカ島へ突入、小型艦艇(大発)にて守備隊を回収する」というものである。木村はこの霧を待ち続けた。並の司令官であれば、大本営から再三の「突入せよ」の命令に怯え、不完全な状態で作戦を実行しただろう。しかし木村は違った。目を血走らせて武勲を求めることが勇気ではないことを知っていた。あの時代、逼迫した戦況の中にあって、勇敢と無謀の違いを知っていた数少ない船乗りだった。

 結果、天助としか思えない事象が木村に味方した。前述の濃霧のほか、米軍のレーダーに「幽霊艦隊」が出現したのだ。いるはずのない海域に日本艦隊出現の報を受け、米軍は大攻撃を開始する。度重なる攻撃にともなう弾薬、燃料補給の必要性に迫られた米艦隊は日本艦隊撃滅を確信し、一時後方に撤退した。救出艦隊はたまたま起きた濃霧の中を進み、たまたま補給のために米軍がいなくなっていた空白の一日の間にキスカ島五〇〇〇余名の救出作戦を完了したのである。 

 数ヶ月の後に米軍が大部隊を率いてキスカ島奪還作戦を実行に移したのであるが、その戦果は犬三匹だったという。

 近代における神懸かり的なパーフェクトゲーム。人知を超えた何かの存在を予感させる数々の逸話が、奇跡の撤退と呼ばれるゆえんなのであろう。


 
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